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お問合わせ
labo@pan-records.com
Pan Records

戦前ブルース音源研究所

Pre War Blues Laboratories

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2012年9月6日  ブレイクのお墓を訪問しました。

2011年9月 その多くが謎であったブラインド・ブレイクの生涯 最期を知る発見が世界同時公開されました。
詳細は Blues & Soul Records 103号 をご覧ください。

また 情報は当HP内でログイン会員様に公開してます。
Blind Blakeの死亡証明書 発見

ブラインド・ブレイクの本名は Arthur Blake でした。

"New York Recording Laboratories" paramount が委託吹き込みから、プレス工場のあったグラフトンでの
自社吹き込みに切り替えた事でグラフトンにほど近い黒人居住区のあったミルウォーキーに移り住んだのだと
想像出来ます。

1929年から1932年まで続いた ウィスコンシン州グラフトンでの録音事業に合わせたタイミングのどこかで
ブレイクはシカゴを後にしたのだと思います。
個人的には比較的早い時期に引っ越したと想像してます(1930年~)

1929年夏頃から始まったグラフトンでの録音 その情報はいち早くブレイクにも届いていたはずです。
数ヵ月後、年明けの1930年1月にはブレイクはパパ・チャーリー・ジャクソンとグラフトン録音をしています。





 

" サン・ハウスとの対面 "


1930年5月末(28日)と伝えられてきたチャーリー・パットン、サン・ハウス、ウィリー・ブラウン、ルイーズ・ジョン
ソンのデルタセッションは1930年8月末~9月初旬にかけての期間であったと現在の最先端リサーチでは修正を
必要としてます。 私達もその見解に賛同します(当研究所会員様には、修正情報として下さい)

マトリックス番号 9/2 #1 Son House - Walking Blues 、 L- 401 Son House - Mississippi County Blues 、
から始まり、L- 433 Charley Patton - Bird Nest Bound まで・・

続く録音は、L- 434 ~ L- 436までが Marie Griffin (何故か3曲)

そして L-437 Blind Blake - 名演 Diddie Wa Diddie No,2 と続くのです。

サン・ハウスの証言によれば このグラフトンで行われた生涯初の吹き込み時、チャーリー等と宿泊していた
"Hotel Grafton" の向かいに Blind Lemon Jefferson が滞在していたと言うのです。

しかし皆さんご存じの通り既に前の年の暮にブラインド・レモンは死亡しておりますし、上記の様にチャーリー・
パットンの録音より4つ後のマトリックスにはブレイクの録音が続いている事実から ブラインド・レモンがいたと
いうサン・ハウスの証言が ブラインド・ブレイクとの勘違い であった事が判ります。

サン・ハウスは グラフトンでブラインド・ブレイクと対面したのだろうか・・・・ 

これは、あくまで想像ですがサン・ハウスは、レモン(ブレイク)を見ていないのではないだろうか?

おそらく、パラマウントのスタッフに 「お前たちの録音の後には盲目のパラマウント・スターが控えていて、
向かいのホテルに既に滞在しているんだぞ」 的な話を聞いた記憶ではなかったのだろうか?

もしくは一緒に行ったウィリーやパットンが「おい おい 向かいに盲目の激ウマギターのパラマウント・スター
がいたぜ!」なんて聞いたのではないだろうか?

さすがに、1960年代のインタビューの時期には、レモンやブレイクの写真も周知されており写真を見れば
どちらか判るのではないだろうか?

4年前(2008年)に私がグラフトンを訪れた時には グラフトン・ホテルの向かいには1912年からある郵便局
があるのと、もうひとつ少し大きな建物があったものの ホテルであった時期があるのかは不明と言う事でした。

どうにも サン・ハウスの証言のホテルが見当たらず 本当にブレイクが向かいに宿泊していたのだろうか?
とサン・ハウスの証言に疑問を持たずにはいられませんでした。



今回 当時の情報や当時の貴重な写真資料のご提供を頂く事が出来ました。


fig-1(研究所 所有)

今回の取材で入手しました写真です。(おそらく1910年~20年代頃)

fig-1 中央がグラフトン・ホテル、左奥が郵便局、左手前がレストランや裁判所や色々と変わっていた建物,
右側の建物 現在は " Heart Of Grafton Family Restaurant " となっております。

グラフトン・ホテル以外に向かいにホテルが見当たりません。

 
fig-2(研究所 所有)

"JAN. 18 - 1924 Schanen Hotel Fire"   写真にはこの様なメモが書かれております。

1924年 この建物は火事で燃えてしまいたしたが、当時この建物は記載が物語る通りホテルだったというのです。

その後建物は同じ場所で同じ形に修復し営業を続けていたらしいのです(そして現在に至っております)


fig-3(研究所 所有)

fig-3 現在(2012-9)は " Heart Of Grafton Family Restaurant " として営業しております。

と言う事は、サン・ハウスの証言が真実だとすれば ブレイクは向かいのこのホテルに滞在していた事に
なります。

* 1930年8月下旬 チャーリー・パットンやウィリー・ブラウン等は " Hotel Grafton " に滞在をし、
時期を同じくしてブラインド・ブレイクは向かいの " Schanen Hotel "に滞在していた事になります。

 
fig-4(研究所 所有)


グラフトン・ホテルは とんがり帽子も元通りに修復され、現在はアパートとして復活してました。
チャーリー・パットンが宿泊したホテル(アパート)に住めるなんて(2012‐9)


fig-5(戦前ブルース音源研究所所有)

ブレイクが宿泊していたであろう 現在の" Heart Of Grafton Family Restaurant "より 
パットン親分達が宿泊していたと言い伝わる "Hotel Grafton"を眺める。

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Grafton Club Sandwich $6.29 美味しかったです! ライ麦パンにベーコン!

これで、サン・ハウスの証言がまんざら嘘でなかったことが証明されたのではないだろうか(笑)




” ブレイクを世話するシカゴの女 ”

2011年4月 ブラインド・ブレイクの死亡証明書がミルウォーキー裁判所から届いた。
世界に向けての発表は2011年9月 イギリスのBlues & Rhythm 263にて公開されました。

日本国内では、 Blues & Soul Records 103号 (当戦前ブルース音源研究所 菊地 明)
によりお知らせ致しました。

 
fig-7(研究所 所有)

ブレイクは 救急車の中で亡くなった為に検死報告書が作成され、奥さんの証言により生涯最期の
数年間が判明した。

死亡証明書と検死報告書にはブレイクの謎であった多くの事実が記載されていた。 


そして ベアトリス・ブレイク(奥さん)がいた事実は、衝撃的な情報の一つでした。
ブレイクの出生地も伝えられてきた場所ではなく、それはパラマウントの宣伝用のセールス・キャッチコピーで
あった事が想像出来ます。 

(パラマウント ブックに掲載 circa 1927 研究所 所有) 

fig-8 fig-9

 


私が気になっていた事は、このトップシークレット・ニュースが飛び込んでくる前にイギリスのリサーチャーから
聞かされていた"シカゴでブレイクを世話していた女がいたという話" である。

アメリカのリサーチャー " Angela Mack "から、ブレイクに関するトップシークレットがあると言われた時に
真っ先に思いついた事が、シカゴでブレイクを世話していた女がいたらしいという話。

この話がどこからの証言かは判りません、しかし、どうやら誰かの証言や言い伝えがあったのだと思います。

蓋を開ければ、この女の話は吹っ飛んでしまいブレイクの本名や死亡原因、さらには奥さんの存在までが
判明して、さらにさらに、お墓までが見つかるという大騒動になってしまったんですね。

2012年 9月 ここで 更なる情報を得る事になる。  
私は今 手元にブレイクの奥さんであった ベアトリス・ブレイクの死亡証明書を持っています。
そうです、奥さんの死亡証明書が見つかりました。(世界初公開情報)

ブレイクの奥さんの死亡証明書 実はここに新たなるブレイク情報があったのです。


fig-10(ベアトリス・ブレイクの死亡証明書)

ベアトリスの死因は アクシデントです。
家で電気のコンセント・プラグから、感電しドレスに火が移った事による焼死であった様です。

ベアトリスは、ブレイクと死別したあと生涯独身を通したのでしょうか、未亡人と記載されてます。
そして 私が一番興味深く感じた事は出生日でした。

ブレイクは 1896年生まれ

ベアトリスは 1886年生まれ 


ベアトリスは ブレイクよりも10歳年上の 姉さん女房 だったのです。


そうです、ここで  「シカゴでブレイクを世話する女の話」 に繋がります!

以前イギリスのリサーチャーから聞かされていた ブレイクを世話する女がいた という話は

 ベアトリスであった可能性が濃厚となり、その話の信憑性もぐっと高くなりました。

 

徐々に 色々な事が繋がって来ました。

 


 

" ミルウォーキーに来たブレイク ”

 

現地グラフトン入りしたのは、2012年9月5日夕方

マイケル・フォトグラフィーやグラフトン・ハウス・オブ・ブルース パラマウントのリサーチャー

アンジェラ邸を周る。

 

4年振りのグラフトンへやって来ました。

fig-11fig-12

夜のグラフトンは、きれいなイルミネーション 新たなオブジェも追加されています。

ここが、ブレイクが録音に訪れた町

そして チャーリー・パットン、サン・ハウス、ウィリー・ブラウン, ルイーズ・ジョンソン ご一行がブレイクと接近した場所!

1930年この場所でブルース界の伝説 歴史に残る デルタセッションは行われたのですね。

南部からやって来た彼らは後にデルタブルースの巨匠と呼ばれる、その彼らがブラインド・ブレイクの存在を一番強く感じた瞬間・場所がここではないか?

 

 fig-13

この町で働いていた人、代々生活をして来た人、そう当時のミュージシャンにあった事のあるという人までもが参列しているこの場所で

何十年も憧れ 追い求めて来た ブラインド・ブレイクの記念式典 私が演奏させて頂いたのが2008年9月の事でした。

神頼みをしない私は、” ブレイク 俺に力をくれ ” と心の中で念じたこの場所。

 

あれから4年、半世紀以上 全く消息不明、当時の家族構成も誕生日も死亡した情報も・・全く謎であったブレイクの最期が判明した。

それも、フロリダではない、このグラフトンから僅か 車で数十分の場所で静かに永遠の眠りについていた。

何故こんなに近くにいたのだろうか?

パラマウント・レーベルのレコードを生産していた工場があったグラフトン この工場施設内に レコーディング・スタジオ を作り、

1929年より他社に委託していた録音作業を自社で行う事になったのです。

黒人ミュージシャン達は グラフトンにほど近い町 ミルウォーキーに滞在しそこから録音のタイミングで連れて来られたと伝えられています。

 

ブレイクはパラマウントの契約ミュージシャンです、録音の度にシカゴからやってくるのではなく黒人居住エリアがあったミルウォーキーへと

グラフトン録音が安定的になった時点で引っ越して来たのでしょう。 ミルウォーキー歴史協会には1932年にはディレクトリーされてます。

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1931年 春にはグラフトンでの録音を残しています L-909 Fancy Tricks - Laura Rucker とのセッションです。

このマトリックスの前後は大きく抜けており ブレイクはかなりの録音を残していると想像出来ますが全く音源は残っておりません。

同年7月にも L-1099 Rope Strethen Blues を録音しておりますが、このマトリックスの前後で10曲程が誰の録音が不明のままであり

ブレイクの録音であった可能性が高く、ここでも 大きな仕事をしていた事が判ります。 

おそらくこの辺りで引っ越して来て翌年辺りに住民登録したのではなかろうか・・・ 

このディレクトリの記録が1932年から死亡1934年までの3年程というのも録音場所の変更、録音キャリアからの時間的見地からも

整合性があり ブレイクの死亡証明書の発見内容を含め ブレイクのお墓の確定に大きく信憑性を増す事となります。

 

fig-14

このジャケットの写真は ディスカバリーを遂げたリサーチャー Angela Mack(中央)がブレイクのお墓へ向かい歩く後姿です。

ブレイクのお墓には墓石はありませんでした。

 

 fig-15 (研究所 所有)

fig-15 ここには 埋葬日と埋葬場所などの情報が記載されております。


"part donation"    と書かれておりますが これは献体として体を提供した事を意味しているようです。 

現在の墓地のエリアを特定する場合に、道の向こうは白人用のエリア、こちらは黒人用エリアと区分されていたり、年代を特定する

前後に亡くなった方の墓石(ストーン・マーカー)などが 有力な情報となった様です。

遠い昔に活躍した ミュージシャン 

その演奏を見てみたかったといくら思ったところで無理な話であるし、 一体どこで死んでしまったのかもわからない・・・・

しかし、今 そのブレイクの亡骸が この下にいる。 

一番近くにやって来たのである

 

 fig-16

ミルウォーキーに引っ越してきたブレイクは 僅か数年の内に寒さに負けたのであろうか肺炎をこじらせて ミルウォーキー病院に入院し

その後具合は良くなる事はなく 翌年亡くなる数週間前から風邪をこじらせ 咳や痰がひどく 肺の出血が原因で救急病院へ搬送される

救急車の中で亡くなってしまいました。 死因は肺結核でした。

 

ミルウォーキーにやって来たブレイクは、ミルウォーキーとグラフトンを結ぶ 中間地点 現在のグレンオークス墓地に眠っていた。

 


 

" ブレイクの墓石を設置する "

こんなに近くにいるんだ 遂にここまで来たか・・・・

実は グラフトン入りした翌日 挨拶の為に訪れたアンジェラ邸 このままブレイクのお墓を案内すると言われブレイクのお墓へ行ったのです。

グラフトン入り 一日目にして一番大きな目的を達成してしまった。 ブレイクの写真もギターもホテルに置いたままでした・・・・

ゆっくりと 今までのブレイク検証にかけて来た想いを振り返る余裕はありませんでした。

 fig-17

誰かが 拾って来た石が置いてある。。。 ブレイクの死亡証明書発見の記事が掲載された新聞が置いてある。

誰かが 石に向かって投げた コインが パラパラ と落ちている。

私達も この石にコインを投げた。

 

「記念写真を撮ろう」 「 ・・・ そうだね。」

 

fig-18

ブレイクとの対話は 出来ませんでした。

墓地の事務所へ帰りに立ち寄るというので 一同で行くこととなりました。

ちょっと 慣れない場所で目的も良くわからないので遠慮がちに中へと入る

どうやら ブレイクのストーンマーカーは この墓地でなく カナダの墓石屋さんに注文したらいい。。。。

そっけない対応のおっさん・・・

違うところで頼んだのだから ちょっとややこしいのかも知れない・・・

fig-19

直接 墓地の担当者がカナダの墓石屋さんへ電話を掛けて サイズやら何やらを確認している様子。

ブレイクのお墓は 一体いつ完成するのだろうか?

持ち込みの墓石(ストーン・マーカー)の設置費用が発生するとか言っている様子です(そりゃ当然です)

私には それが誰の手によって どの様に進行しているのか 判りませんでした。

では 帰ろうと車に乗り動き始めた時・・・

aki : 「墓石の設置代金 なんだったら俺払うよ」

嫁:「アキラが全部 払うの?ブレイクのお墓の費用」

aki :「うん 払う。 アンジェラに言ってくれ」

angela:「アキラ! 本当! 本当? じゃあとでメールする?」

aki : 「いや 今 ここで払う キャッシュで」

angela : 「キャッシュ! Go Back! 」

と言う事で車を駐車スペースに戻し、今度は偉そうに大きな顔して扉を叩く(笑)

 

 fig-20

打って変わって ゴキゲンなおっさん(笑)

みんなが笑顔

Blake Arthur のファンデーション(設置費用)代  Akira Kikuchi とサインをし 換金していったピン札を支払う。

担当者:「Oh  brand new」

お札もブランド・ニューって言うのか・・・・


ホットしました。 これでブレイクのお墓が完成する世界中のブレイクファンもいつか訪れるかも知れない。

ブレイク 良かったなぁ 


 

" ブレイクとの対話 "

 

何となく思った・・・ 10代の頃からブレイクに憧れてここまで来た これほどまでに名を残したパラマウント・スターが

全く人知れず 墓石もなく眠っている・・・ そのお墓の費用を払う  不思議だなぁ 

何だか導かれている様な・・・ ブレイクのギターテクニックを身に付けたい一心で 同じギターが欲しくなって

そのために 写真からギターの寸法を割り出し、確かめ残の為に当時のギターを世界中から何十本も買い漁って計測をし

世界のビンテージ・ギターの所有者にサイズを計測させ数百本もの実測データーを検証し、当時の弦を収集し調べ実際に使用し

当時のマイクも収集し検証し それら当時の道具で ブレイクの曲を演奏し歌いCDを作り・・・・

 

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もしかして これは大掛かりなストーリーで 俺は墓石を立てる使命だったのか・・・

大掛かりに仕組まれた仕掛けに まんまとハマったのだろうか(笑)

この話の最終回は、aki blake が 本物のBlakeの墓を建てて めでたしめでたしなのだろうか・・・

 

 

 

4年前に現地の新聞社の取材時に通訳をして下さった ウィルデンさんのお宅に引っ越して来ませんかと薦められて

ホテルをキャンセルして引っ越す事になりました。

 

一泊目の朝 

 ブレイクのお墓の前でギターを持って ジョージア・バウンドを唄っている そんな夢を見て目が覚めました。

 

このままじゃ 帰るわけにはいかない もう一回ブレイクのお墓へ行かなくちゃ・・・ この夢は正夢に出来る。

朝起きるなり 私はもう一度ブレイクのお墓に行こうと決心しました。

額に入ったブレイクの写真、ギター、そして ブレイクのトゥルー・レボリューションCD

 

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一緒に連れて行った子供は、キッズパフォーマーの "ファルコン" 甥っ子なのだが親元を離れ初の海外旅行

ブルース・パーティでは 最高なパフォーマンスで賑わせたのであるが、さすがに真剣な場面ではうざったいもので(笑)

 

ムービーを構えてウロチョロされては、ブレイクと真剣に向かい合う事が出来ない。

ギターを抱えて 夢で見た通りに 演奏しなれた ジョージア・バウンドを演奏し始めた・・・

しかし、簡単なギターのフレーズで突っかかってしまうのです。

 

全く演奏にならない。 唄も全く唄っている気がしない・・・

何故だ? ガキんちょが邪魔で集中出来ないのだろうか? 確かにそれはあった。

お墓に向かう車内で つまらぬタップの世界の常識をかざした発言で食ってかかって来たり 身支度に恐ろしく時間がかかり

嫁さんのイライラも 遂にピークに達し険悪なムードが漂っていた。。。。

 

何十年もの想い ここにブレイクがいる 今 世界で一番ブレイクに近い場所にいる 

この感動は 全く共有されず・・・ ガキんちょ邪魔だなぁ 空気読めよ お前・・・(笑)

 

いや そんなのじゃない   何かが 邪魔をしているんだ・・・・

aki : 「悪いがファルコン お前車に戻ってくれ」

ファルコン:「なんで僕だけ? どうして?・・・」

aki :「ホントうるさいから あっちへ行ってくれ」

 

魂と魂のやりとりに何かが邪魔をしている そんな変な力を感じるのである・・・

結局 私はブレイクのお墓に一人残り 地面に座りギターを弾き唄い始めたのです。

 

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ダメだ 全く集中出来ない。

夢の通り ブレイクのお墓でジョージア・バウンドを演奏する ムービーを回すのだが全くだめだ・・・

途中 お墓参りに来ていた黒人の方が見に来たり、墓地の関係者がカートに乗って様子伺いに来たり・・・

そうすると 演奏家の性というか調子が出るのだか・・・何かが演奏をさせない力を発しているような・・・

 

とても簡単な指使いさえ もう何度となく意識せずに動くはずのフレーズで突っかかる。

止めた! クソったれ

ここまで やって来てこのざまか! こんなギターいらねぇや! ここに捨てて行くか。。。

バカバカしい やってられっか!   ファルコンが録ってたムービーは全部消去!

 この挫折感・・・屈辱感・・・何なんだ…?

 

自分がこんなにネガティブになる事は 大人になってからは無いだろう。

いろんな事があっても ギターを捨てて行く ギターなんてもう弾きたくない そんな感情はギターを始めてから一回もなかった

そんな自分自身に驚いた。 情けない。 本当になんだったんろう このギター人生。。。

ここまで来て こんな無様な・・・確かに練習は近年全くしていないのだが それにしても情けない。。。

こんなにブレイクの近くにいるっていうのに

 

そんなギター 弾けるうちにゃはいらねぇぞ 。 足元にも及ばねぇよ。。

何唄ってんだ? それは流行りの言葉か? 何語だよ。 俺が king of ragtime guitar なんだよ。 Only Oneだ!

俺が Blind Blakeだ お前は誰だ! Hey you!    (意外と性格悪いなブレイク)

 

 

ブレイクが邪魔しているのだろうか それともこの下にはブレイクではない誰かが埋まっているのだろうか?

とにかく 誰かに左の小指を引っ張られている様なんです。

 

 

ブレイクと気持ちが一つになる事は 全く出来ませんでした。

そんなに簡単に The END はやって来ないのかも知れない、 まさかベアトリス・ブレイク(妻)の墓石も立てろと言っているんじゃないだろうな!

おいおい ブレイク そりゃないぜぇ  俺は日本人だぜ

アメリカ人かブルース大好きなイギリス人か 誰かにお願いしてくれよ。

気持ちは判るけどな

だったら 俺と取引しようぜ ブレイクのギターモノに出来る様に教えてくれよ。

そしたら 嫁さんの立派なお墓を立ててやろうじゃないか。。。。

 


2人が様子を伺いながら戻って来た・・・・ 知らない内に一時間近くが過ぎてしまったようだ・・・・

何だろう この時間の流れは・・・・

何度か自分にビデオを向けて映したが 嫌になってビデオカメラを足元に転がした・・・・ところが。。。

 

後で見ると 草にピントが合っていて

ブレイクの写真がその向こうに映り

写真に差し込む日差しを 吹き続ける風に揺れる葉っぱが遮る

時折 ピンボケのブレイクが光る・・・

 

 そんな不思議な映像が映し出されていた。

 この曲は Wabash Rag … だな  そう Wabash Streetのあるシカゴから来たんだよな ブレイク…。。。

一生かかっても追いつく事なんてないんだな 「ちくしょう ブレイクめぇ~」 この20年の間に何度同じセリフを吐いたことか。

 

でも ブレイクのお陰で 楽しい人生になりました。 ありがとう ブレイク。

 

 また会いに行くさ ベアトリスのお墓だなわかったよ。 Akira Kikuchi 2012_9  




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